質問者も指導者も迷いの中だ。

豊かな事、貧しい事、
健康である事、病気である事、
頭の良い事、悪い事、
能力の高い事、無能な事、
強い事、弱い事、
富を得る事、失う事、
容姿が良い事、悪い事

進化、衰退

ストレス、緊張、恐れ、
好かれる事、嫌われる事、

知識の獲得、信仰する事、
政治、経済、
創造、維持、破壊、

人類の進化と崩壊、
生と死、
地球崩壊

地球外生命体、
死後の世界、
神や仏、宗教、科学

これらが何だと言うのだろうか?

質問者はこれらについて悩み、指導者はこれらについて答える。

多くの疑問はこれらについてであり、

多くの指導者はこれらについて回答を与える。

成功者と呼ばれるもの、寺の坊主でさえこれをやっている。

出来事に悩み、出来事に回答を与える事に問題はない。

しかし、出来事の中に自己が存在すると思いなすなら、

どちらも迷いの中だ。

迷いとは変化する対象、世界の中に自己があると言う錯覚から

生まれる。

どの様に結論付けようが、変化の中では原因と結果の法則の元、

結論もまた新たな原因となり、新たな疑問を生む、

出来事に特定の原因、回答、真実などない。

指導者は一時的結論に浸ってはいるが、それもまた失われるだろう。

賢者を装い賢くふるまっても、それは知るものにより見透かされている。

あなた方は何も得てはいない。

わたしにとって対象である世界は、空虚なものであり、

実に実りのないショウである。

出来事に悩み、出来事に回答を与える事は、

わたしから観れば、一時的な戯れに過ぎない。

わたしとは世界の中に、ではなく、それらを超えている。

ゆえに如何なる迷いも持つ事は出来ないのだ。

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