夢を持ち、夢を叶える事、
それを見て勇気付けられものがいる。
その反面、嫉妬や増悪、妬むものもいる。
夢を勝ち取り、栄光を掴むものがいる。
半面、挫折しどん底に落ちる者がいる。
全ては2つで1つ
宇宙はそうやってバランスをとるのだ。
限られた富を奪い合う、富を勝ち取る者が現れるなら、
富を失うものが現れる。
巨額の富の背後には、きつい労働に虐げられる者や貧困がある。
だがそこに善悪はない。
何故なら、全てにとって良いものも悪いものもないからである。
誰かにとって良いものがあるなら、
誰かにとって悪いものがあると言う事、
それは、その様に機能している。
一握りの栄光を掴みとったものだけが
称賛されるが、その背後にある多くの、人知れず苦しむ者、
人知れず死んでいったものに多くは無関心である。
その明暗は、努力や能力だけでは測れない。
それは、様々な要因からなる一時的な結果として現れる。
全ては繋がりから起こる事で、個人の功績も失敗もない。
高額納税者が社会に貢献していると見られる風潮があるが、
それにより、多くの納税できないくらいやせ細ったものを
生み出している事を、誰も知る余地もない。
貢献は、その反面、阻害でもある。
富める者が富める者としてある事の背後には
貧しいものの存在が不可欠なのだ。
富める者とは個人の力ではなく、
様々な依存の力が働いて生まれる事を知るべきだ。
様々な要因からなる単なる一時的な結果だけを見て、
個人の努力や能力の成果を主張する事は、
無智から生まれた幼稚で浅はかな考えである。
自己知識を得たものは全てを同等と観る。
特別な個人など存在しない。
自己知識とは自己存在への否定を通して知る知識である。
自己を特定の形態と見なす事で、
自己中心的な考えや行為を生むのである。
それにより競争を生み、様々な要因からなる格差が現れる。
特定の個を特別扱いして称賛すれば、個は調子に乗り、
どんどん肥え、相手にされなければ個は、力を
失い、どんどんやせ細っていく、
同等に観る事とは、全てを称賛し、あるいは
全てに無関心であり、また全てを憐れむ事である。