世界は知識に溢れ、人々は知識に溺れる。
知識の中に正しさを見出す事はない。
人々の正しさとは、一時的で儚いものだ。
人々の正しさは新たな知識の発見と共に
失われ、新たな発見は更なる発見にかき消される。
これらは無限に続いていく、
知識とは単に信仰を与えるだけだ。
それぞれの知識には信仰者が現れる。
知識と信仰は様々な為に対立を生むが、
信仰は何処まで行っても真実に到達できない。
真理を見出すには、多くが知識の獲得に
向かうのと逆行して、知識の放棄の
道を選ばなければならない。
宗教、哲学、政治、多くの分野で
知識をもってこれが正しいとやっているが、
そこに正しさが無い事は、未だに人々が
争い続けている事で証明されている。
それは今も昔もこれからも変わる事はないだろう。
知識の中に真実は永遠に見つからないのだ。
真理とはまっさらな何の混じりけもない純粋なものだ。
それを教える為に知識は現れ、信仰が現れた。
真理の教えが真理で無いものを生み、宗教が現れ
本末転倒を起こした。
最も真理を教えなければならないものが
最も真理を消し去ってしまっている。
多くは現存の宗教を見て、触れてはならないもの
関わってはならないものと境界線を引いた。
それは明らかに現実離れしてしまったからだ。
その中にあっても真の教えは確実に存在するが、
埋もれた真理を発見する事は稀な事だ。
人々は目を向けなければならない。
何故カルト的な宗教が蔓延っているのか?
神とは何か?
何がどうなって宗教が生まれたのかを
あなたが真理を見出す為には誰かの助けは
何の役にも立たない。
何故なら真理とはあなたそのものであり、
それを見出すのはあなた以外にあり得ないからだ。
その為にあなたは全ての知識を否定していかなければ
ならない。
あなたが生み出す全ては正しくないのだ。
わたしとは何か?
宇宙とは?
神とは?
これらの質問は全て同じレベルへと導くが、
それらへの回答はどれも正しくないのだ。
全ての回答を放棄し、なお残るそれが”それ”である。
本物はあらゆるペテンの中に隠れている。
ペテンの中から本物を見出すものは
稀な事だ。
更に真理として在るに到達するものは
殆どいないのである。
到達は全ての物質的、精神的活動からの
解放であり終焉を意味するものだ。
それは生死を超えて終焉するものである。